●【前編】 「減点1」
見慣れた切れ長の目が白目をむき、薄く化粧の乗った桜色の肌に大量の汗が浮いて、俺の目の前でキララはテーブルに倒れ込んだ。
よく自慢していたセミロングの栗毛が、テーブルいっぱいに広がる。
隣に座るキララの彼氏――ユウキは何が起きたか分からないといった顔で、思考停止。忌々しい癖っ毛に手を当てたまま、タレ目を大きく見開き、間抜け顔で硬直している。
俺たちの座席の異常に気付いてか、賑やかなランチタイムの店内が凍りつく。
止まっていないのは、穏やかなクラシックの音色と、窓から見える粉雪だけ。
すべてが俺の計画通り。
パーフェクトだぜ、俺。
俺は“練習通り”に、すぐさま椅子から立ち上がって、キララに駆け寄った。
「キ、キララ!? どうしたんだよ、お前!」
激しく身体を揺するが、反応はない。
有名なトリカブトの毒をたっぷりと飲ませたんだから、まぁ当然だな。
しかし、今俺が演じるべきは、何も知らないキララの友人、吉村独人《よしむら どくと》。
何が起きたか分かるワケもないので、机に突っ伏したキララの身体を起こしあげて、顔を確認する。
人形みたいに生気のない顔に、焦点の合わない目。
へえ、本で読んではいたけど、マジでこんな顔になるんだなーと感心した。
だが、この感情を周囲に読み取られるワケにはいかない。
もう必死の顔で、未だに間抜け顔で固まったままのユウキに、怒り混じりに呼びかける。
「おい、ユウキ! 何を固まってんだよ、救急車だ、救急車! 何か分からねぇけど、ヤベーよ、これ!」
「う、うん……」
震える手でスマホを取り出すユウキ。
バカが。
これでコイツは、救命行動が遅れたことで、証言が不利になる。
まったくもって、救えないアホだぜ。
俺たちの剣呑な雰囲気が伝わったのか、木目調の床と壁が美しいカフェ内に、ザワめきが広がっていく。
いいね、この空気。
俺が演出したのだと思うと、たまらなく心地いい。
この店の奴らは全員、俺の計画した完全犯罪に踊らされ、俺を有利にする証言者となるんだ。
ざまぁみやがれ。
「ど、どうしたんだい、独人くん。キララちゃんに、何かあったの?」
奥のカウンターから、白髪のオールバックが特徴的な、この店のマスターが飛び出してきた。
如何にもカフェのマスターですって感じのエプロン姿に、丸メガネと白いヒゲが気に入らないオッサンだが、今は天使に見える。
なんせ、ユウキともども俺の罪を被ってくれる一人なんだからな。
「さ、騒がしくしてごめんよ、マスター。それがキララのヤツ、ホットミルクを飲んでいたら、急にブッ倒れちまったんだ」
「ホ、ホットミルクを飲んでいたら……? 何で、そんなことに……」
自分の淹れたミルクが原因かと思ったのか、マスターは髪だけでなく、顔まで白くさせた。
ああ、笑える。
食中毒騒ぎなんて、飲食店では致命的だもんな。
まったく、どいつもこいつも、計画通りに動いてくれてたまらないぜ。
俺の企てた毒殺計画はパーフェクト。
このまま俺以外のどいつかが警察に捕まるように仕向ければ、晴れて計画は完遂する。
あとは、疑われないようにだけ、気を付けないとな……。
「マスター、どうかしたのか? 角砂糖みたいに白い顔じゃないか」
その時、カウンター席に座っていた黒いコートの男が、マスターのそばへとやってくる。
マスターに似た白い髪に、ドジョウみたいで変なヒゲと、太い眉。シワの深い顔に、くぼんだまぶた。
一見、間抜け面のジイさんにしか見えない。
しかし、その目は飢えた野犬のようにギラついていて、妙に嫌な予感を覚えた。
そして俺は間もなく、自分の予感が的中していたことを思い知る――
「ろ、老師探偵……実は、常連の女の子が倒れてしまったらしくて」
「た、探偵?」
「既に現役は退いているがな。簡単な検死くらいはできるだろう」
そう言って、老師探偵と呼ばれた男は薄手の黒いゴム手袋をはめると、テーブルに突っ伏すキララの頭に触れ、軽く持ち上げて眼球を確認したり、ニオイを嗅いだりしていく。
オイオイ……。
完全に手慣れた動きじゃねえかよ。
ここに来て、俺のパーフェクトな計画に、とんだ狂いが生じやがった。
「ふむ、残念だが手遅れだな。即効性の毒物を盛られたのだろう、もう助からん」
あっさりと告げると、老師探偵が妙なマークが書かれたスマホを取り出し、何やら電話相手に指示を出していく。
「ああ、事件が起きた。警察には私から説明をしておく。私一人で解決できそうだが、念のため店の座標を送っておこう」
それから初老の男は、俺とユウキに向き直って、唇のヒビ割れた口をつり上げてみせた。
「坊やたち、運が悪いな。どちらが殺したか知らんが、お前さんたちはもう逃れられんよ……この老師探偵は、しつこさに定評があるんでな」
不安げにユウキがこちらを見つめてきたので、俺も同じように視線を返してやった。
ここは、困惑した様子を見せるのが正解。
パーフェクト・アンサー。
実際、俺は今、計画になかった最悪の邪魔者の登場に、焦りを覚えている。
――コイツ、一体何者だ……?
鬱陶しい冷や汗が背中を伝う。
目の前のジイさんは間違いなく只者じゃない。
だが、こんなジイさん一人に、長い時間をかけて立てた計画を狂わされてたまるかよ。
「老師探偵、さん……って呼べばいいですか? キララが何で死んだのか、解明してくれるんですか?」
疑われていることに気付いていない体で、老師探偵に手を差し出した。
今はパーフェクトな殺人犯ではなく、殺人事件に遭遇して冷静さを失った大学生、吉村独人を演じるんだ。
自分が疑われているとまで、思考は回らないはず。
取り敢えず、ワケがわからないけど頼ろうとする意志を見せよう。
「老師探偵さん……お願いします! 何が起こったのか、解き明かしてください!」
頭を下げつつ叫んだ。
そして心の中でも叫ぶ――パーフェクト!
これが、日々騙し合いのテニスサークルで一定の地位を築いた、俺の演技力だ!
感極まって最後に声が震えた感じも出せたし、これなら疑われない。疑われる、はずがない!
老師探偵は俺を信用したのか、笑顔で握手に応じやがる。
バカめ。せいぜいユウキのヤツを疑いやがれ。
探偵だか知らないが、コイツごと全員を騙しきってやるぜ。
「くくっ、久しぶりに血が騒ぐ事件だ。楽しませてもらおう」
しかし俺の自信とは裏腹に、まるで俺の腹を読み取るように、老師探偵の口角がツリ上がってみえた気がした。
見慣れた切れ長の目が白目をむき、薄く化粧の乗った桜色の肌に大量の汗が浮いて、俺の目の前でキララはテーブルに倒れ込んだ。
よく自慢していたセミロングの栗毛が、テーブルいっぱいに広がる。
隣に座るキララの彼氏――ユウキは何が起きたか分からないといった顔で、思考停止。忌々しい癖っ毛に手を当てたまま、タレ目を大きく見開き、間抜け顔で硬直している。
俺たちの座席の異常に気付いてか、賑やかなランチタイムの店内が凍りつく。
止まっていないのは、穏やかなクラシックの音色と、窓から見える粉雪だけ。
すべてが俺の計画通り。
パーフェクトだぜ、俺。
俺は“練習通り”に、すぐさま椅子から立ち上がって、キララに駆け寄った。
「キ、キララ!? どうしたんだよ、お前!」
激しく身体を揺するが、反応はない。
有名なトリカブトの毒をたっぷりと飲ませたんだから、まぁ当然だな。
しかし、今俺が演じるべきは、何も知らないキララの友人、吉村独人《よしむら どくと》。
何が起きたか分かるワケもないので、机に突っ伏したキララの身体を起こしあげて、顔を確認する。
人形みたいに生気のない顔に、焦点の合わない目。
へえ、本で読んではいたけど、マジでこんな顔になるんだなーと感心した。
だが、この感情を周囲に読み取られるワケにはいかない。
もう必死の顔で、未だに間抜け顔で固まったままのユウキに、怒り混じりに呼びかける。
「おい、ユウキ! 何を固まってんだよ、救急車だ、救急車! 何か分からねぇけど、ヤベーよ、これ!」
「う、うん……」
震える手でスマホを取り出すユウキ。
バカが。
これでコイツは、救命行動が遅れたことで、証言が不利になる。
まったくもって、救えないアホだぜ。
俺たちの剣呑な雰囲気が伝わったのか、木目調の床と壁が美しいカフェ内に、ザワめきが広がっていく。
いいね、この空気。
俺が演出したのだと思うと、たまらなく心地いい。
この店の奴らは全員、俺の計画した完全犯罪に踊らされ、俺を有利にする証言者となるんだ。
ざまぁみやがれ。
「ど、どうしたんだい、独人くん。キララちゃんに、何かあったの?」
奥のカウンターから、白髪のオールバックが特徴的な、この店のマスターが飛び出してきた。
如何にもカフェのマスターですって感じのエプロン姿に、丸メガネと白いヒゲが気に入らないオッサンだが、今は天使に見える。
なんせ、ユウキともども俺の罪を被ってくれる一人なんだからな。
「さ、騒がしくしてごめんよ、マスター。それがキララのヤツ、ホットミルクを飲んでいたら、急にブッ倒れちまったんだ」
「ホ、ホットミルクを飲んでいたら……? 何で、そんなことに……」
自分の淹れたミルクが原因かと思ったのか、マスターは髪だけでなく、顔まで白くさせた。
ああ、笑える。
食中毒騒ぎなんて、飲食店では致命的だもんな。
まったく、どいつもこいつも、計画通りに動いてくれてたまらないぜ。
俺の企てた毒殺計画はパーフェクト。
このまま俺以外のどいつかが警察に捕まるように仕向ければ、晴れて計画は完遂する。
あとは、疑われないようにだけ、気を付けないとな……。
「マスター、どうかしたのか? 角砂糖みたいに白い顔じゃないか」
その時、カウンター席に座っていた黒いコートの男が、マスターのそばへとやってくる。
マスターに似た白い髪に、ドジョウみたいで変なヒゲと、太い眉。シワの深い顔に、くぼんだまぶた。
一見、間抜け面のジイさんにしか見えない。
しかし、その目は飢えた野犬のようにギラついていて、妙に嫌な予感を覚えた。
そして俺は間もなく、自分の予感が的中していたことを思い知る――
「ろ、老師探偵……実は、常連の女の子が倒れてしまったらしくて」
「た、探偵?」
「既に現役は退いているがな。簡単な検死くらいはできるだろう」
そう言って、老師探偵と呼ばれた男は薄手の黒いゴム手袋をはめると、テーブルに突っ伏すキララの頭に触れ、軽く持ち上げて眼球を確認したり、ニオイを嗅いだりしていく。
オイオイ……。
完全に手慣れた動きじゃねえかよ。
ここに来て、俺のパーフェクトな計画に、とんだ狂いが生じやがった。
「ふむ、残念だが手遅れだな。即効性の毒物を盛られたのだろう、もう助からん」
あっさりと告げると、老師探偵が妙なマークが書かれたスマホを取り出し、何やら電話相手に指示を出していく。
「ああ、事件が起きた。警察には私から説明をしておく。私一人で解決できそうだが、念のため店の座標を送っておこう」
それから初老の男は、俺とユウキに向き直って、唇のヒビ割れた口をつり上げてみせた。
「坊やたち、運が悪いな。どちらが殺したか知らんが、お前さんたちはもう逃れられんよ……この老師探偵は、しつこさに定評があるんでな」
不安げにユウキがこちらを見つめてきたので、俺も同じように視線を返してやった。
ここは、困惑した様子を見せるのが正解。
パーフェクト・アンサー。
実際、俺は今、計画になかった最悪の邪魔者の登場に、焦りを覚えている。
――コイツ、一体何者だ……?
鬱陶しい冷や汗が背中を伝う。
目の前のジイさんは間違いなく只者じゃない。
だが、こんなジイさん一人に、長い時間をかけて立てた計画を狂わされてたまるかよ。
「老師探偵、さん……って呼べばいいですか? キララが何で死んだのか、解明してくれるんですか?」
疑われていることに気付いていない体で、老師探偵に手を差し出した。
今はパーフェクトな殺人犯ではなく、殺人事件に遭遇して冷静さを失った大学生、吉村独人を演じるんだ。
自分が疑われているとまで、思考は回らないはず。
取り敢えず、ワケがわからないけど頼ろうとする意志を見せよう。
「老師探偵さん……お願いします! 何が起こったのか、解き明かしてください!」
頭を下げつつ叫んだ。
そして心の中でも叫ぶ――パーフェクト!
これが、日々騙し合いのテニスサークルで一定の地位を築いた、俺の演技力だ!
感極まって最後に声が震えた感じも出せたし、これなら疑われない。疑われる、はずがない!
老師探偵は俺を信用したのか、笑顔で握手に応じやがる。
バカめ。せいぜいユウキのヤツを疑いやがれ。
探偵だか知らないが、コイツごと全員を騙しきってやるぜ。
「くくっ、久しぶりに血が騒ぐ事件だ。楽しませてもらおう」
しかし俺の自信とは裏腹に、まるで俺の腹を読み取るように、老師探偵の口角がツリ上がってみえた気がした。