はあー、と加賀は大きなため息をついた。
『あのなぁ、カオル。もうそういう時代じゃないんだ。お前が負い目を感じる必要はないし、花城だってお前が身体壊したら悲しむだろ』
「それはまぁ……そうかも」
『かもじゃねえよ。お前がトンネル出るまで何年間も待ってたんだろ? それだけ重い女なんだから、お前が倒れたら仕事ぶん投げかねないぞ」
「重いとか言うな」
『とにかく、俺が言いたいのは無茶すんなってことだよ』
どうやら心配してくれているらしい。
何年経っても、加賀は変わらない。高校生のときと同じように、あるいはあのとき以上に、僕に気を使ってくれる。そう思うと、頬が綻んだ。
「肝に銘じるよ。ありがとう」
『別にいいけどよ』
「じゃあ本題に入るんだけどさ」
『今までの本題じゃなかったのかよ』
「記念日って、何を渡せばいいと思う?」
*
『なんでもいいんじゃない?』
スピーカーフォンに切り替えたスマホから聞こえてきた返事に、私はちょっぴり失望した。
ネーム作業がキリのいいところまで進んで、小休憩を挟んでいたときだった。不意に今日が『記念日』であることを思い出して、そして私がなんの準備もしていないことに気づいて、慌てて小春に助けを求めたのだ。
「もうちょっと真剣に考えてくれない? 本気で悩んでるんだけど」
『そう言われても……塔野のこと、よく知らないし。ていうか、本気で悩んでるならどうして記念日当日の夕方にかけてくるわけ? そういうのって、事前に準備しとくもんじゃない?』
「それはだって、さっき思い出したから」
『大事な日ならちゃんと覚えときなよ』
返事に詰まる。正論だった。
高校生の頃に比べて、小春はずいぶんとはっきり言うようになった。初めて会ったときは、ほんとどうしようもないいじめっ子だったのに。もちろん、今はもう気にしていない。彼女の仕打ちは、私の本気パンチでとっくの昔に清算されている。
『でもまぁ、そうねえ……やっぱり、二人で楽しめるものがいいんじゃない?』
「というと?」
『食べ物とか? 二人の記念日なんだから、分け合えるものがいいと思うよ。あと、あんまり高いものはやめといたほうが無難だね』
「どうして?」素直に感心した。
こういうとき、人生経験の差を思い知らされる。それはそうだ。私がウラシマトンネルに入って膨大な時間を費やしているあいだ、彼女は着実に自分の人生を歩んでいたのだから。もはや肉体でも精神面でも、小春は私よりもはるかに大人だ。そう考えると、小春のことが頼もしくなる。同時に、置いていかれたような寂しさも、ちょっと感じる。
『ところで、いつまで塔野のこと名字呼びしてんの?』
「え?」
『一緒に暮らし始めてもうだいぶ経つでしょ? 塔野もだけどさ、そろそろ名前で呼び合ったらどうよ。じゃないとそのうち困るよ』
「困るって、なんで?」
『そりゃあ、いつかは同じ名字になるんでしょ?』
う、と私はたじろぐ。
こんなことで動揺してしまう自分が少し情けない。
「一応、名前で呼び合う練習はしてるから……」
『練習! ウブすぎて泣けてくるわ……。あんずって、ウラシマトンネルに入ってた分を差し引いてもピュアすぎ――』
「う、うるさいなあ! 訊きたいことは訊けたからもう切るよ」
『はいはい、じゃあ頑張ってね~』
通話を終了した。
椅子の背にもたれて、ふうと息をつく。雑に終わらせてしまったけれど、ちゃんとアドバイスをもらえた。小春には感謝しないと。
食べ物で、分け合えるもので、あまり高くないもの……。
よし、決めた。
*
「ただいま」
時刻は一九時半。我が家であるマンションの2LDKに帰ってくると、珍しく花城が玄関まで迎えに来てくれた。
「おかえり。待ってたよ、塔野く――ん?」
花城の視線が、僕の右手に止まる。
「それ、何?」
「ああ、これ? 実は……」
僕はレジ袋からその箱を取り出して、花城に見せびらかした。
「ケーキ、買ってきたんだ。今日は記念日だから」
花城は驚いたように目を瞬いた。
ちょっとしたサプライズだ。花城は忙しくて記念日のことを忘れていただろう。喜んでもらえたかな……。
ドキドキしながら花城の返事を待っていると、彼女は何も言わず、慌てたように廊下に引き返した。
え、と僕は呆気に取られる。どうしたんだろう。
不安になりながら玄関で立ち尽くしていると、花城が戻ってきた。両手には、僕が持っているものと同じような箱がある。
「私も買ってきちゃった……」
「え、じゃあ二人ともケーキ?」
『あのなぁ、カオル。もうそういう時代じゃないんだ。お前が負い目を感じる必要はないし、花城だってお前が身体壊したら悲しむだろ』
「それはまぁ……そうかも」
『かもじゃねえよ。お前がトンネル出るまで何年間も待ってたんだろ? それだけ重い女なんだから、お前が倒れたら仕事ぶん投げかねないぞ」
「重いとか言うな」
『とにかく、俺が言いたいのは無茶すんなってことだよ』
どうやら心配してくれているらしい。
何年経っても、加賀は変わらない。高校生のときと同じように、あるいはあのとき以上に、僕に気を使ってくれる。そう思うと、頬が綻んだ。
「肝に銘じるよ。ありがとう」
『別にいいけどよ』
「じゃあ本題に入るんだけどさ」
『今までの本題じゃなかったのかよ』
「記念日って、何を渡せばいいと思う?」
*
『なんでもいいんじゃない?』
スピーカーフォンに切り替えたスマホから聞こえてきた返事に、私はちょっぴり失望した。
ネーム作業がキリのいいところまで進んで、小休憩を挟んでいたときだった。不意に今日が『記念日』であることを思い出して、そして私がなんの準備もしていないことに気づいて、慌てて小春に助けを求めたのだ。
「もうちょっと真剣に考えてくれない? 本気で悩んでるんだけど」
『そう言われても……塔野のこと、よく知らないし。ていうか、本気で悩んでるならどうして記念日当日の夕方にかけてくるわけ? そういうのって、事前に準備しとくもんじゃない?』
「それはだって、さっき思い出したから」
『大事な日ならちゃんと覚えときなよ』
返事に詰まる。正論だった。
高校生の頃に比べて、小春はずいぶんとはっきり言うようになった。初めて会ったときは、ほんとどうしようもないいじめっ子だったのに。もちろん、今はもう気にしていない。彼女の仕打ちは、私の本気パンチでとっくの昔に清算されている。
『でもまぁ、そうねえ……やっぱり、二人で楽しめるものがいいんじゃない?』
「というと?」
『食べ物とか? 二人の記念日なんだから、分け合えるものがいいと思うよ。あと、あんまり高いものはやめといたほうが無難だね』
「どうして?」素直に感心した。
こういうとき、人生経験の差を思い知らされる。それはそうだ。私がウラシマトンネルに入って膨大な時間を費やしているあいだ、彼女は着実に自分の人生を歩んでいたのだから。もはや肉体でも精神面でも、小春は私よりもはるかに大人だ。そう考えると、小春のことが頼もしくなる。同時に、置いていかれたような寂しさも、ちょっと感じる。
『ところで、いつまで塔野のこと名字呼びしてんの?』
「え?」
『一緒に暮らし始めてもうだいぶ経つでしょ? 塔野もだけどさ、そろそろ名前で呼び合ったらどうよ。じゃないとそのうち困るよ』
「困るって、なんで?」
『そりゃあ、いつかは同じ名字になるんでしょ?』
う、と私はたじろぐ。
こんなことで動揺してしまう自分が少し情けない。
「一応、名前で呼び合う練習はしてるから……」
『練習! ウブすぎて泣けてくるわ……。あんずって、ウラシマトンネルに入ってた分を差し引いてもピュアすぎ――』
「う、うるさいなあ! 訊きたいことは訊けたからもう切るよ」
『はいはい、じゃあ頑張ってね~』
通話を終了した。
椅子の背にもたれて、ふうと息をつく。雑に終わらせてしまったけれど、ちゃんとアドバイスをもらえた。小春には感謝しないと。
食べ物で、分け合えるもので、あまり高くないもの……。
よし、決めた。
*
「ただいま」
時刻は一九時半。我が家であるマンションの2LDKに帰ってくると、珍しく花城が玄関まで迎えに来てくれた。
「おかえり。待ってたよ、塔野く――ん?」
花城の視線が、僕の右手に止まる。
「それ、何?」
「ああ、これ? 実は……」
僕はレジ袋からその箱を取り出して、花城に見せびらかした。
「ケーキ、買ってきたんだ。今日は記念日だから」
花城は驚いたように目を瞬いた。
ちょっとしたサプライズだ。花城は忙しくて記念日のことを忘れていただろう。喜んでもらえたかな……。
ドキドキしながら花城の返事を待っていると、彼女は何も言わず、慌てたように廊下に引き返した。
え、と僕は呆気に取られる。どうしたんだろう。
不安になりながら玄関で立ち尽くしていると、花城が戻ってきた。両手には、僕が持っているものと同じような箱がある。
「私も買ってきちゃった……」
「え、じゃあ二人ともケーキ?」