「ミドラ(三)とミドラ(三)の構造式がガドラ(九)だって、覚えてもないのにどうやってすぐにわかったんですか?」
質問をしにやってきた俺に、シスターイゼッタは首を傾げてみせた。
「計算をするためには、こうやって……覚えておいた詠唱図面の中から……」
うわあ……。
呆れた。そして、気づいた。
この世界の数学は、とんでもなく遅れている。
シスターイゼッタが言っていた詠唱図面とは、各主要スペルの計算式が全て描かれている絵のことだ。人々が考えうる、ほとんど全ての構造式が描かれている。
その中から、五かける三は十五であると、詠唱図面を一々目で追って確認するやり方をする。
「シカ(五)をレミット(三)の数の分だけ足す。そうすれば、レミット・シカ(十五)に到達する」ことを、目で追って確認することができる図面。
無論、図面を探すことに長けた、頭のいい奴もいるだろう。
だからといって、これを一々覚えているだと!?
こんなやり方をしているから、単純な数字が提示されている時は暗算出来ても、圧縮構造式という複雑な問題となると、詠唱時間内に解けなくなるのだ。
方程式レベルになると、より深刻な問題になる。
詠唱中に「変数エックスの値を求めよ」と提示されても、パニックになるだけだろう。
しかも詠唱時間というのは、気持ちが焦っているために当然ながら短く、電卓があったとしても、ミスをした瞬間にリセットだ。魔法の発動が失敗になる。
もう少し数学を研究して、四則演算と方程式の体系を作っていれば、より効率的な、新しい圧縮スペルの公式を作り出せるはずだが……ここの奴らは、そんな概念自体をそもそも認知していない。
しかも、屋敷での後継者紛争の際、会計士たちと揉めながら感じていた危惧までもが、現実だったことが明らかになった。衝撃的なことに、この世界の人間たちは、ほとんど数学を学んでいないようだ。
無論、算数という概念が全く存在しないわけではない。
指で数えられるレベルの算数だけでも、日常に支障がないだけだ。
正確に言うと、シスターイゼッタが話していたような「三かける三」レベルの暗算なら可能だ。だが、これ以上に数字が大きくなり、式が複雑になれば、暗算は不可能になる。
よって、詠唱図面たるものが存在しているわけだ。
だから複式簿記すらなかったのか?
俺は唖然とした。
戦争が起きれば、食糧のことなど、数値で計算しないといけないことが山ほどあるはずなのに……数学の研究もしないまま、よく今まで歴史を紡いできたな。
「じゃあ……ソサ(六)とメント(七)の圧縮比はわかりますか?」
「バレル・レミット・ダー(四十二)」
シスターイゼッタが、急いで詠唱図面を漁る。この程度でさえ、暗算では少し複雑だと思うレベルのようだ。しばらく詠唱図面を眺めていたシスターイゼッタが、目を見開いて俺を見る。
只の掛け算だろうが……。
「じゃ、じゃあ……レミット・ミドラ(十三)と……バレル・レミット・ダー(四十二)の中間圧縮比は?」
「うむ……シカ・フェイリート・バレル・レミット・ソサ(五百四十六)?」
「レ、レ……レミットと、フェイリートは……!?」
「そんなの簡単だ。オルトレ(千)だ」
シスターイゼッタが、口をあんぐりとさせた。
自分が提示した圧縮式は、大変難しいものだと思っていたようだ。
シスターイゼッタは、まるで人ではない存在を見るような目で、俺の前で固まっている。
そんなに驚くことか。
百が十個あれば千個になるなど、地球では常識だぞ。
しかし数学という概念、そして掛け算表もない世界だと、驚くのも無理はないのかもしれないな。
少しいたたまれない気持ちになり、頭を掻いた。
小学生でも解けるレベルの問題だ。
方程式を使ったり、より高度な数学的演算をすれば、より大きな可能性だって、いくらでも見つけられるはずだ。
だが、そこまでは説明しなかった。
まず説明するのも難しそうだし……
何よりこの女、すぐにでも息が止まりそうな程に衝撃を受けている。
おい、シスターイゼッタ……大丈夫か!?
「天才……! パリル・ホール・マグリュード様は天才です!」
「い、いや……! シスターイゼッタ! そこまでではないから、そう大げさになるな! これは実は、とても簡単な……」
「すぐに校長先生に報告致します! これはサフハウゼン……いや! この世界全体を変える、革命です! 圧縮スペルの構造式を再定義する、革命なんです!」
「ストーップ! ちゃんとした検証があったわけでもないから、明かすのはまだ早い!」
これは……ミスったな。
ここまで衝撃的な発言として受け止められるとは思わなかった。
この世界にも数学者やら賢者やらがいるはずだ。
この世界のどこかで、彼らが学問の研究をしているはず。
となれば……俺のこの能力は、それを揺るがすチートになってしまう。
そうなるとお偉いさんたちは、俺のこの計算式を独占しようと、狙ってくるだろう。そうなれば、俺の身が危険にさらされる可能性が高い。
特別な技術や理論には、世界を変える力があるからな。
インターネットの発明やスマートフォンの登場が、世界の文化を変えていたように。
そして何より、俺はこの計算式を、まだ実践で試したことがないのだ。
急いで動くのは危険だ。
よって俺は、真剣にシスターイゼッタを止めた。
「やめろ、シスターイゼッタ。まだ確実に定義されてもいない学問で盛り上がってしまえば、むしろこちらの立場を揺るがしかねない。もう少し時間をかけて、圧縮スペルの研究を確実に進めてから、改めて報告するよ」
「も、もう構造の把握は終わったのでは? さっきのお返事だと、そうとしか思えません……!」
「いや、まだ不明確な情報が多い。間違いも多いしな……何というかこのままだと、体調が悪かったりミスをすれば、魔力が暴走する可能性がある!」
「暴走……?」
「昨日は、ひどく吐いちまったんだよ! 計算を間違えると気分が悪く……う、うっ……!」
「パリル様!? 大丈夫ですか?」
「い、今も……過度な計算のせいで副作用が……! ううっ!」
「パリル! よ、横! 横になって休んでください!」
とりあえず話題を逸らそう。俺は、つわりを起こす妊婦のように、大げさに振る舞った。
この計算式は俺だけの特別な能力であると、まだ知られてはいけない。
しかも、この公式を使った場合、実際にどれだけ魔力が強くなるのかも、まだ検証していない。
質問をしにやってきた俺に、シスターイゼッタは首を傾げてみせた。
「計算をするためには、こうやって……覚えておいた詠唱図面の中から……」
うわあ……。
呆れた。そして、気づいた。
この世界の数学は、とんでもなく遅れている。
シスターイゼッタが言っていた詠唱図面とは、各主要スペルの計算式が全て描かれている絵のことだ。人々が考えうる、ほとんど全ての構造式が描かれている。
その中から、五かける三は十五であると、詠唱図面を一々目で追って確認するやり方をする。
「シカ(五)をレミット(三)の数の分だけ足す。そうすれば、レミット・シカ(十五)に到達する」ことを、目で追って確認することができる図面。
無論、図面を探すことに長けた、頭のいい奴もいるだろう。
だからといって、これを一々覚えているだと!?
こんなやり方をしているから、単純な数字が提示されている時は暗算出来ても、圧縮構造式という複雑な問題となると、詠唱時間内に解けなくなるのだ。
方程式レベルになると、より深刻な問題になる。
詠唱中に「変数エックスの値を求めよ」と提示されても、パニックになるだけだろう。
しかも詠唱時間というのは、気持ちが焦っているために当然ながら短く、電卓があったとしても、ミスをした瞬間にリセットだ。魔法の発動が失敗になる。
もう少し数学を研究して、四則演算と方程式の体系を作っていれば、より効率的な、新しい圧縮スペルの公式を作り出せるはずだが……ここの奴らは、そんな概念自体をそもそも認知していない。
しかも、屋敷での後継者紛争の際、会計士たちと揉めながら感じていた危惧までもが、現実だったことが明らかになった。衝撃的なことに、この世界の人間たちは、ほとんど数学を学んでいないようだ。
無論、算数という概念が全く存在しないわけではない。
指で数えられるレベルの算数だけでも、日常に支障がないだけだ。
正確に言うと、シスターイゼッタが話していたような「三かける三」レベルの暗算なら可能だ。だが、これ以上に数字が大きくなり、式が複雑になれば、暗算は不可能になる。
よって、詠唱図面たるものが存在しているわけだ。
だから複式簿記すらなかったのか?
俺は唖然とした。
戦争が起きれば、食糧のことなど、数値で計算しないといけないことが山ほどあるはずなのに……数学の研究もしないまま、よく今まで歴史を紡いできたな。
「じゃあ……ソサ(六)とメント(七)の圧縮比はわかりますか?」
「バレル・レミット・ダー(四十二)」
シスターイゼッタが、急いで詠唱図面を漁る。この程度でさえ、暗算では少し複雑だと思うレベルのようだ。しばらく詠唱図面を眺めていたシスターイゼッタが、目を見開いて俺を見る。
只の掛け算だろうが……。
「じゃ、じゃあ……レミット・ミドラ(十三)と……バレル・レミット・ダー(四十二)の中間圧縮比は?」
「うむ……シカ・フェイリート・バレル・レミット・ソサ(五百四十六)?」
「レ、レ……レミットと、フェイリートは……!?」
「そんなの簡単だ。オルトレ(千)だ」
シスターイゼッタが、口をあんぐりとさせた。
自分が提示した圧縮式は、大変難しいものだと思っていたようだ。
シスターイゼッタは、まるで人ではない存在を見るような目で、俺の前で固まっている。
そんなに驚くことか。
百が十個あれば千個になるなど、地球では常識だぞ。
しかし数学という概念、そして掛け算表もない世界だと、驚くのも無理はないのかもしれないな。
少しいたたまれない気持ちになり、頭を掻いた。
小学生でも解けるレベルの問題だ。
方程式を使ったり、より高度な数学的演算をすれば、より大きな可能性だって、いくらでも見つけられるはずだ。
だが、そこまでは説明しなかった。
まず説明するのも難しそうだし……
何よりこの女、すぐにでも息が止まりそうな程に衝撃を受けている。
おい、シスターイゼッタ……大丈夫か!?
「天才……! パリル・ホール・マグリュード様は天才です!」
「い、いや……! シスターイゼッタ! そこまでではないから、そう大げさになるな! これは実は、とても簡単な……」
「すぐに校長先生に報告致します! これはサフハウゼン……いや! この世界全体を変える、革命です! 圧縮スペルの構造式を再定義する、革命なんです!」
「ストーップ! ちゃんとした検証があったわけでもないから、明かすのはまだ早い!」
これは……ミスったな。
ここまで衝撃的な発言として受け止められるとは思わなかった。
この世界にも数学者やら賢者やらがいるはずだ。
この世界のどこかで、彼らが学問の研究をしているはず。
となれば……俺のこの能力は、それを揺るがすチートになってしまう。
そうなるとお偉いさんたちは、俺のこの計算式を独占しようと、狙ってくるだろう。そうなれば、俺の身が危険にさらされる可能性が高い。
特別な技術や理論には、世界を変える力があるからな。
インターネットの発明やスマートフォンの登場が、世界の文化を変えていたように。
そして何より、俺はこの計算式を、まだ実践で試したことがないのだ。
急いで動くのは危険だ。
よって俺は、真剣にシスターイゼッタを止めた。
「やめろ、シスターイゼッタ。まだ確実に定義されてもいない学問で盛り上がってしまえば、むしろこちらの立場を揺るがしかねない。もう少し時間をかけて、圧縮スペルの研究を確実に進めてから、改めて報告するよ」
「も、もう構造の把握は終わったのでは? さっきのお返事だと、そうとしか思えません……!」
「いや、まだ不明確な情報が多い。間違いも多いしな……何というかこのままだと、体調が悪かったりミスをすれば、魔力が暴走する可能性がある!」
「暴走……?」
「昨日は、ひどく吐いちまったんだよ! 計算を間違えると気分が悪く……う、うっ……!」
「パリル様!? 大丈夫ですか?」
「い、今も……過度な計算のせいで副作用が……! ううっ!」
「パリル! よ、横! 横になって休んでください!」
とりあえず話題を逸らそう。俺は、つわりを起こす妊婦のように、大げさに振る舞った。
この計算式は俺だけの特別な能力であると、まだ知られてはいけない。
しかも、この公式を使った場合、実際にどれだけ魔力が強くなるのかも、まだ検証していない。